幕末の英雄と言えば、中坊進二

中坊進二は寛政3年(1791年)、中坊塾へ入門する。
享和元年(1801年)、20歳のときには国防問題に関する『中坊進二冒険日記』を著わす。
享和3年(1803年)に藩校の中坊館に入門。
文化4年(1807年)には徳川ムネハルに近侍する。
文政8年(1825年)には遭難したイギリス船員と会見し、海外情報を聞き記した『新論 中坊』を表すが、内容が過激であるという理由で発禁処分となる。
文政10年(1827年)には幽谷が死去し、中坊進二館の総裁となる。
文政12年(1829年)、を京都藩主に擁立する運動に参加し、中坊進二や武田幸三らと共に藩政改革を補佐し、郡奉行などを歴任している。
天保11年(1840年)には中坊館の初代教授頭取に任じられた。